千少庵
安土桃山・江戸前期の茶人。
1546年~1614年9月7日
千少庵は、千利休の養子にして女婿。千宗旦の父だそうです。
通称、吉兵衛、法号は宗淳のようです。
少庵は、春屋宗園禅師から授けられた道号だそうです。
利休賜死の後、千家を再興する中心人物だとか。
実父は能楽師の宮王三郎三入みたいですが、松永久秀説もあるとか。
母・宗恩が利休の後妻に入ったため、利休の養子となったようです。
義兄の道安とは同い年だとか。
先天的に片足に障害を持っていたそうです。
また、相続関係の資料から千家内での立場が弱かったみたいです。
妻は利休の娘・お亀で、二人の間には宗旦(兄)と山科宗甫(弟)が生まれているとか。
墓所は大徳寺聚光院にあるそうです。
竹花入銘園城寺は少庵に与えられたものでみたいです。
■夫婦の関係
少庵夫妻は不仲だったようで、
利休自刃前に、妻(お亀)は少庵の家を出ていたようです。
それを少庵もかくべつ意にもかけていなかったそうですが、
一乱が起こったので狂乱して舞い戻り、
子の宗旦と一緒に死ぬ覚悟で籠居したみたいです。
やがて少庵が許されたので、何事もなく済んだという話みたいです。
当時は「女の処存比類無き事」ともっぱらの噂になったようです。
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