佐々木道誉(ささき どうよ)は、佐々木佐渡判官入道や、京極高氏(きょうごくたかうじ)とも呼ばれ、
茶をゲームとして楽しむ「闘茶」を広めた人とのこと。
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
1296年~1373年9月12日
鎌倉幕府創設の功臣で近江を本拠地とする佐々木氏一族の京極氏に生まれたことから、
京極道誉(きょうごく どうよ)または京極高氏(きょうごく たかうじ)とも呼ばれる。
ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆沙羅大名として知られる。
ばさらは、身分秩序を無視して実力主義的であり、
公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、
奢侈(しゃし)で派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識。
足利尊氏に南朝と和睦して後村上天皇から直義追討の綸旨を受けるよう進言。
足利政権の立役者でもある。
また、茶道の他、連歌などの文芸や立花・香道・笛・近江猿楽の保護者となったようです。
『太平記』に、
京都の勝持寺で花を生け、
香炉を飾り、花見をしながら、
出されたお茶が「本茶」か「非茶」かを飲み当てる
「闘茶」が行われた
とあるそうです。
当時の庶民の間でも、茶を点てて、
どちらの泡が先に消えるかといった「闘茶」があるなど、
様々なルールで以降100年以上に渡り流行ったとか。
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