2018年6月6日水曜日
NO 165 配膳棚の組み立て方ってこんなの
表千家不審庵に建つ茶室の一つ点雪堂は、
四畳茶室の祖堂と、反古張席(ほごばりのせき)・勝手・水屋からなるそうです。
ここの勝手には、折りたたみ式の「配膳棚」が備え付けられているようです。
点雪堂の勝手は、板の間と三畳敷と土間とからなっており、
一隅に右手に流し、左手に「長炉」がつくられているみたいです。
「長炉」の上部には蛭釘が三つあって、そこに鎖がつくられ、
その蛭釘をレールによって左右に移動できるようにしているとか。
これは懐石の用意をする際にとても実用的な、
他の水屋には見られない工夫なのだそうです。
長炉の右手は、すのこ張りとなっているようで、
その上部に一枚の棚がもうけられているみたいです。
北側の壁は大きく中敷居窓があけられて、
窓の右手に折りたたみ式の「配膳棚」があるそうです。
部屋の西南には明り障子が立てられて、
その外に半畳ほどの竹縁が作ってあるみたいです。
■点雪堂(祖堂)とは
表千家不審庵に建つ茶室の一つ、点雪堂は、
七代如心斎が造立し、天明の大火後、
十代吸江斎が再興した建物みたいです。
四畳茶室の祖堂と、反古張席(ほごばりのせき)・
勝手・水屋などからなっているようです。
祖堂は、利休像をまつった二畳台目の上段の利休堂、
道安囲いの四畳半(四畳半切本勝手)、
堂付風炉先床の床の間からなるそうで、
利休の年忌や特別の茶事にのみ使われるとか。
茅葺屋根の妻に掲げられた扁額は、
大徳寺の竺嶺和尚の筆だそうです。
不審庵は明治39年に火事があったようですが、
その時に焼失を免れたのが「点雪堂」みたいです。
火災の直後、この建物が、家元の応急の仮り住まいとなり、
たいへん重宝な役割を果たしたとか。
「点雪堂」は、露地口を入ってすぐ右手のはね木戸をすすむか、
あるいはまた外腰掛から中潜を経て、
さらに右手へ折れて茅門をくぐるとあるようです。
点雪堂には、反古張席という、
八代卒啄斎好の一畳台目向板入向切の茶室が附属しているそうで、
祖堂の正面から左手の方へ進むと、この席の入口へ導かれるようです。
この席の前面には庇が深く付けおろされ、
北と西の二方を袖壁で囲い、一坪ほどの広さの土間庇を構成していて、
ちょうど御室の仁和寺遼廓亭や如庵の形式と共通するものがあるとか。
■火灯口(かとうぐち)
「点雪堂」の茶道口は、火灯口だそうです。
火灯口は、主に給仕口に用いられる出入口の形式のひとつみたいで、
方立のような枠を用いず、出入口の上部を丸くして壁を塗り廻し、
塗り廻した縁を奉書紙で貼り、
水屋側に鴨居を入れて片引き襖を建てたものみたいです。
裏千家の一畳台目向板入向切の今日庵や、
武者小路千家の一畳台目半板入向切の官休庵なども火灯口だとか。
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