日本における茶の記述がはっきりするのは、
815年、嵯峨天皇の滋賀県唐崎への行幸だそうです。
嵯峨天皇は、唐崎への舟遊びの途中、梵釈寺に立ち寄り、
大僧都永忠から茶を献ぜられたようです。
この永忠は、約35年間、唐に留学していたそうで、
陸羽の点茶法を身に着けていたと考えられているようです。
当時の喫茶は、固形の緊圧茶「餅茶(びんちゃ)」から、
必要量だけ切りほぐして湯にいれて煮出して飲む方法だったとか。
中国文化人の陸羽著『茶経』はこの頃(760年)に著されていて、
白磁や青磁の茶碗についても書かれているようで、
日本にも既に、輸入されていることから、
当時の喫茶も、同様の茶碗を使っていたのではと推測されるようです。
琵琶湖で舟遊びをした後、平安京へ帰り、
嵯峨天皇は、京都・近江・丹波・播磨国など
関西一円に茶を栽培させ、毎年献上するよう命じていたそうです。
「季御読経(きのみどきょう)」という平安時代に行われた宮中行事の中で
「引茶」として僧侶たちに振る舞ったようです。
ただ、僧や皇室を中心に取り入れられた喫茶、
唐文化の模倣として用いられていたため、
唐の衰退・遣唐使の廃止・国風文化の興隆などで、
細々とした発展しかしなかったようです。
一般に浸透するようになるには、鎌倉時代を待つ必要があるみたいです。
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