2018年6月14日木曜日

NO 203 「茶人伝2」嵯峨天皇ってこんな人



日本における茶の記述がはっきりするのは、

815年、嵯峨天皇の滋賀県唐崎への行幸だそうです。



嵯峨天皇は、唐崎への舟遊びの途中、梵釈寺に立ち寄り、

大僧都永忠から茶を献ぜられたようです。



この永忠は、約35年間、唐に留学していたそうで、

陸羽の点茶法を身に着けていたと考えられているようです。



当時の喫茶は、固形の緊圧茶「餅茶(びんちゃ)」から、

必要量だけ切りほぐして湯にいれて煮出して飲む方法だったとか。



中国文化人の陸羽著『茶経』はこの頃(760年)に著されていて、

白磁や青磁の茶碗についても書かれているようで、

日本にも既に、輸入されていることから、

当時の喫茶も、同様の茶碗を使っていたのではと推測されるようです。



琵琶湖で舟遊びをした後、平安京へ帰り、

嵯峨天皇は、京都・近江・丹波・播磨国など

関西一円に茶を栽培させ、毎年献上するよう命じていたそうです。



「季御読経(きのみどきょう)」という平安時代に行われた宮中行事の中で

「引茶」として僧侶たちに振る舞ったようです。



ただ、僧や皇室を中心に取り入れられた喫茶、

唐文化の模倣として用いられていたため、

唐の衰退・遣唐使の廃止・国風文化の興隆などで、

細々とした発展しかしなかったようです。



一般に浸透するようになるには、鎌倉時代を待つ必要があるみたいです。

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