丿貫
生年月日 不明
丿貫は、戦国時代後期から安土桃山時代にかけての伝説的な茶人だそうです。
丿桓・丿観の他、別寛(べちかん)とも言われるみたいです。
その住居は京・近江の境である山科にあったようで、
当時、奇行をもって知られていたみたいです。
日常生活もわびに徹し、いつも手取釜一つで食事を済ませ、
終わると谷川の清流で釜を清めて炉に懸け、
茶の湯を嗜んでいたそうです。
藪内竹心『源流茶話』に
「丿貫は、侘び数奇にて、
しいて茶法にもかかわらず、器軸をも持たず、一向自適を趣とす、
にじり上り口に新焼の茶壺をかざりて、関守と号す、
異風なれ共、いさぎよき侘数奇なれば、
時の茶人、交りをゆるし侍りしと也」
とあるみたいです。
「風雅は、身とともに終わる」として、
自分が書いてきた短冊類を買い取って燃やした。
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