北向道陳
室町時代の茶人。堺の舳松町(へのまつちょう)に住む。
千利休の最初の師。
「わび茶」「草庵の茶」に対し、
「台子の茶」「書院の茶」を伝えていたとされる。
1504年~1562年
本姓は荒木と言う医者で、堺で北向の家に住んでいたことから「北向」と名乗ったそうです。
能阿弥の弟子の島右京(空海)に東山将軍家の茶の湯を学び、千利休(当時は、与四郎)に伝えたみたいです。
利休は当時17歳だったようです。
利休がはじめて茶会を開いた時、古老であるということで、道陳に意見を聞いたことがあったそうです。
そのとき道陳は、利休を評して、
「やがて並ぶ者のない茶人となるであろう。
しかし大茶入から茶をたぶたぶとすくって点てるのだけはよくない。」
といったそうです。
以来、利休は道陳のもとで稽古に励んだようです。
道陳は、59歳で亡くなるのですが、
墓は菩提寺であった堺の妙法寺(日蓮宗)に、
今もあるそうです。
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