2018年6月17日日曜日

NO 234 「茶人伝20」今井宗久ってこんな人



今井宗久



1520年 ~1593年8月31日



『今井宗久茶湯書抜』や『今井宗久日記』など。墓所は堺市堺区の臨江寺。



今井出羽守宗慶の三男として、大和国今井町に生まれたようです。

近江国高島郡今井市城を領したので、氏を今井と称したのだとか。



堺に出て納屋宗次の居宅に身を寄せ、武野紹鴎に茶を学び、納屋宗久と称して茶会などに出席、

紹鴎の女婿となった宗久は、紹鴎の家財茶器などを悉く譲り受けたそうです。



初めは、当時軍需品としての需要があった甲冑用の鹿皮など、皮製品販売を扱っていたそうで、

それによって財をなし、各地の戦国大名とのつながりを深めていったようです。

将軍・足利義昭にも茶湯をもって近侍していたとか。



その後、納屋業(倉庫兼金融業)、薬種(硫黄)、火薬、鉄砲などの商売を行い、

納屋衆の中で最高の財力を誇ったようです。



天文23年(1554年)に、大徳寺塔頭大僊院に170貫を寄進し、

昨夢庵寿林(寿林宗久・昨夢斎)の号を授かるようです。



弘治元年(1555年)に、武野紹鴎が亡くなると、紹鴎の子・宗瓦(5歳)の後見人となり、

武野家の私財・茶器などの管理一切を任されるそうです。



また、宗久好の洞棚(ほらだな)などの製作もしており、

なかなかの茶人だったみたいです。



茶会記録には『今井宗久茶湯書抜』や『今井宗久日記』があるとか。



文禄2年(1593年)に死去。墓所は大阪府堺市の臨江寺にあるようです。

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