2017年10月14日土曜日
中次ってこんなの
動画は、中次(なかつぎ)と、その内側を見せたものです。
中次の名は、蓋と身の合わせ目(合口)が、
胴のほぼ中央にあることに由来しているそうです。
本来は内外とも全部真塗で単純な形のものだったようですが、
後には塗も溜・朱・摺漆などができたみたいで、
合ロの位置の移動や蓋の形状の変化も生まれたのだとか。
藪内竹心著『源流茶話』
「棗は小壺の挽家、中次ハかたつきのひき家より見立られ候」
とあることから、肩衝系の茶入の「挽家」の形が中次とするのが、一般的みたいです。
挽家は、中に入れる茶入の形に轆轤で挽いた木地に漆塗りした容器のことだそうです。
ただ、中次に関しては、『日葡辞書』に
「ヤロウまたはnacatcugui 碾いた茶を入れるある種の小箱」
また、
『雪間草』に
「薬籠 当世の中次なり黒塗又やろうとも云」
とそれぞれあるそうで、本来薬を入れる器である
「薬器」「薬籠」から転化したという説もあるとのこと。
中次系の薄茶器には、
「真中次(しんなかつぎ)」:円筒形の胴の中央部に合わせ目(合口)があるもの。
「面中次(めんなかつぎ)」:真中次の蓋の肩を面取りしたもの。
「茶桶(ちゃおけ)」:面中次の蓋を浅くしたもの。
「吹雪(ふぶき)」:茶桶の身の裾も面取りしたもの。
「頭切(ずんぎり)」:茶桶の蓋を立上がりがほとんどない程浅くしたもの。
「立鼓(りゅうご)」:真中次の合口の部分が細く鼓を立てたようなもの。
「丸中次(まるなかつぎ)」:上下(蓋・身)を丸くしたもの。
「甲赤(こうあか)」:丸中次の身に中次の蓋を冠せ、丈を低くしたようなもの。
などがあるそうです。
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本桑でできた中次茶器で、薄茶器の一種だそうです。
中次の分類としては「真中次(しんなかつぎ)」になるでしょうか。
仕覆・帛紗付が付いているので、
和巾点などに用いると良いかと思われます。
■和巾点
和巾点は、玄々斎による裏千家の点前の整理
(法護普須磨の小習を含む三十二条の板書き)の一環として、
禁裏への茶の献上を強く望み、
1865年6月、中院家の仲介により献上が許され、
それを記念して「和巾点」が再興したのだそうです。
元々、和巾点は、
利休 時代から唐物や棗などの由緒あるものを扱う作法として扱われていた点前が、
いつのまにかなくなったみたいです。
1866年正月19日、玄々斎は、
禁裏へ濃茶竜影と新作白竹真削り茶杓を献上し、
その献残の茶をもって
「利休大居士 の古書により」
和巾点を復興し、披露したようです。
2017年10月13日金曜日
鉄瓶ってこんなの
動画は、略盆点前などに使用する鉄瓶です。
現在の鉄瓶は、三足の釜に注口を設け肩の常張鐶付に、
弦(つる)をつけた手取釜が祖型なんだそうです。
鉄瓶で沸かしたお湯は、体に良いそうです。
これは体内にほぼ100%吸収される鉄分が溶出するためと、
鉄瓶で沸騰したお湯は100%塩素分が除去されるためみたいです。
鉄分はアルツハイマー痴呆症の予防にも有効だそうです。
鉄分が不足すると、「貧血」「倦怠感」「疲労感」「集中力低下」
「筋力低下」「口内炎」「爪の異常」など症状が出てくるそうです。
軒宗金著『茶具備討集』に
「手取、土瓶也、必有口」
とあるようです。
正田次郎左衛門著『湯釜由緒』に
「始メテ土瓶茶釜ナルモノヲ鋳造ス」
とあるみたいです。
以下に鉄瓶の価格帯ごとの説明をしようかと思います。
■一万円未満
国産と中国産があり、手作り品はないそうです。
国内産の鉄瓶は「急須兼用鉄瓶」になるようです。
鉄瓶と急須の違いは「内側の処理」で、
錆ないようにしてあるのが急須、鉄のままのものが鉄瓶だそうです。
なぜか中国で「南部鉄器」という商標登録をしたそうで、
このクラスの「南部鉄瓶」というのは中国製のようです。
■一万円未満
鋳型一つで百個くらいと、大量に生産するようです。
職人の手も少し加わるみたいです。蓋は上からかぶせるタイプのようです。
鉄瓶の取っ手は機械で作り、成形するそうで、持つと熱いそうです。
そして、重い。
■三万~五万円台
このクラスから繊細な模様がついた鉄瓶が出てくるみたいです。
内側には「金気止め」の処理が施され、表面は「黒漆」や「生漆」が塗られているそうです。
鋳型一つで四個ほどの鉄瓶を作るようです。
取っ手の造形にも手が加えられ、本格的な物になるそうです。
ただし、持つと熱いようです。
■六万~九万円
完全に手作りで鋳型一つから一個しか作らないみたいです。
取っ手(弦)は中が空洞で、持っても熱くないそうです。
この取っ手のことを特に「中空の弦」とも言うようです。
ちなみに、中が空洞ではない弦は「鋳物の弦」とか「無垢の弦」と呼ぶとか。
中空の弦には穴があいているのですが、これは虫喰いなんだそうです。
蓋は姥口(うばくち)になるみたいです。
これは、本体に蓋がはまり、でっぱりがないものだそうです。
■十万~十九万円
岩鉄で作られた鉄瓶(南部鉄器)だそうです。
ひと月に一個~三個しか作れないというもののようです。
鉄瓶本体の肉厚も薄く(2mm程度)、非常に軽くまた繊細な姿だそうです。
霰も手作業で、二千個程つけるのだとか。
これは、霰押し棒というもので丁寧に型に押して作っていくのだとか。
■二十万円以上
砂鉄で作られた鉄瓶だそうです。
砂鉄の鉄瓶は基本的に錆びないみたいです。
弦は岩鉄だなんだとか。
2017年10月11日水曜日
三ッ組仕覆ってこんなの
三ッ組仕覆(みつぐみしふく)は、茶箱に仕組む、
茶碗・棗・茶杓をそれぞれ入れる仕覆のことだそうです。
仕覆は、大徳寺木瓜・祥寿緞子・遠州緞子・紹鴎緞子
遠州元禄・利休緞子などなどいろいろあるようです。
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茶碗の仕覆は、御物袋とは違うそうです。
御物袋は、無地の縮緬(ちりめん)で出来ているのですが、
仕覆は、金襴、緞子、間道、錦、風通、繻珍、
天鵞絨、印金、莫臥爾、更紗
などになるようです。
仕覆の裂地には、他に、
名物裂と言われるものもあるようです。
名物裂は、鎌倉時代から江戸時代にかけて、主に中国から日本に伝わった織物。
名物には「大名物、名物、中興名物」があって、
この中から茶人に選択され大事に扱われてきた裂が名物裂と言うそうです。
大名物は、 足利義政 (室町時代)が、中国の名器・名画を能阿弥に選定させ東山御物としましたもの、
名物は、 千利休 ・山上宗二(桃山時代)が選んだ「茶器名物集」のもの、
中興名物は、 小堀遠州 (江戸時代)が選出したものらしいです。
名物裂の記録としては、
1595年別所吉兵衛の『名器録』、
1694年江戸時代の百科事典『万宝全書』、
1797年松平不昧の『古今名物類聚』、
1804年の『和漢錦繍一覧』とかにあって、
『万宝全書』の頃には、名物裂の名称が確立したのではないかとのこと。
他にも到来時期をベースに、
「極古渡り」(鎌倉後期~室町初期)、
「古渡り」(室町中期)、
「中渡り」(室町中期~末期)、
「後渡り」(室町末期~桃山時代)、
「近渡り」(江戸初期)、
「新渡り」(江戸中期)、
「今渡り」(江戸中期以降)
と分類する場合もあるみたいです。
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茶杓袋(ちゃしゃくぶくろ)は、
茶箱の点前(雪・月・花や色紙点前など)で、
茶杓をしまう際に使用する仕覆で、名物裂などがあるようです。
袋から茶杓を取りだした際は、
茶杓袋を結んで、茶箱内にある棗の仕覆の上に置くようです。
結び方は、上を左手で手前に折り、
右手で下からかぶせて一結びするみたいです。
2017年10月10日火曜日
茶箱 雪点前の道具組ってこんなの
動画は、「雪点前」の道具組です。
雪点前は、裏千家第11代家元の玄々斎が伊勢崎松坂の一旅舎に滞在中に、
考案したものだそうです。
花点前=春、卯の花点前=夏 、月点前=秋、雪点前=冬
と対応させた場合の「冬」にあたります。
特徴は、お盆を使わず、「掛子」を使うことで、
茶碗、棗、茶杓は、仕覆に入れるようです。
この仕覆は、三ツ組仕覆というとか。
袋にいれた茶杓(中節・象牙でも良い)は、
掛子に斜めに置くとか。
動画の道具組にはないのですが、
「建水」も必要なようです。
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■掛子とは
ここでは、掛子(かけご)の説明をします。
掛子は、茶箱などの収納をより効率よくするため、
箱の縁に掛けて、その中にはまるように作った、
平たい箱のことだそうで、点前の際に茶碗を置いて、
安定良く茶を点てるのにも用いるみたいです。
茶籠にはほとんどみかけないそうですが、
茶箱には添うものがあるようです。
最初から箱と一揃いで作られている場合が多いみたいで、
茶筅筒がつかえないよう、その部分が丸く開けてあるのだとか。
雪点前と月点前に使用するみたいです。
雪点前では、箱に掛子を掛け、袋に入れた茶杓を斜めに置き、
その上に二つ折りにした古帛紗を載せ、
さばいて畳んだ帛紗を置いて、蓋をするそうです。
月点前では、箱に掛子を掛け、古帛紗を二つ折りにして中央に入れ、
その上に香合・小羽箒を置き、左側に袋に入れた茶杓を置き、
さばいて畳んだ帛紗を置いて、蓋をするみたいです。
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■鑑賞
今回は、裏千家五代不休斎常叟好の
「木地茶箱」について説明します。
裏千家五代不休斎常叟好の木地茶箱は、
十代認得斎と十一代玄々斎が写しているそうです。
玄々斎の写しには、玄々斎筆の書付が添い、
箱蓋表に「三之内」と玄々斎が墨書しているそうです。
不休斎が好んだ茶箱に、「菓子箱新好之」とされる被蓋の菓子器を、
玄々斎は新たに追加したようです。
茶箱の下部に引き出しがあるそうで、
被蓋によって押さえる仕組みみたいです。
茶箱・菓子器共に、内部には金泥が施されているとか。
木地茶箱のサイズは、高9.4cm、径16.3cm×11.5cmだそうです。
中身は、
・唐津写茶碗(慶入作)
・古瀬戸写茶入(保全作)
・甲赤茶器(七代宗哲作)
・竹茶杓(玄々斎作)
・茶筅筒(七代宗哲作)
・染茶巾筒(保全作)
・菓子箱
みたいです。
2017年10月9日月曜日
長板の総荘ってこんなの
動画は、長板の総荘(そうかざり)です。
桶側の皆具で並べて見ました。
柄杓は差通になります。
茶道では「総飾り」ではなく「総荘」と書きます。
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■長板とは
長板は、台子の地板または上板をかたどったもので、
真塗が利休形で大小二種あって、
大きいものは風炉用、小さいものは炉用としているそうです。
それぞれの大きさは、
風炉用は長さ二尺八寸、幅一尺二寸、厚さ六分。
炉用は長さ二尺四寸、幅一尺、厚さ四分。
みたいです。
藪内竹心著『源流茶話』に以下の話があるようです。
台子は真の道具です。
長板は台子の上板より見立てられたもので、
金(かね)風炉をのせ、行の茶湯とし、
四畳半の炉にかざられます。
小板は草の道具で、風炉に用いられます。
大板・中板・小板は大中小の風炉に応じて用いられます。
茶を点てる時に、小板の右の隅に茶巾を置くのは、
台子の場合の茶巾を置く位置になるからです。
立花実山著『南方録』に
「台子の上の板を、上段の板、下を長板といふなり。」
とあるようです、
藪内竹心著『源流茶話』に
「長板ハ台子の上板より見立てられ」
とあるそうです。
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■桶側とは
桶側は、桶の側面の板のことで、
当世具足の一種「桶側胴」なんかが有名でしょうか。
桶側胴は板札(いたざね)とよばれる、
細長い長方形の鉄板を、
鋲で留め合わせて作るそうで、
その外観が桶の側面に似ている事から、
桶側胴の名が付いたようです。
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■桶側八景
八景は、瀟湘八景や西湖八景のように対象が固定されているものも多いけど、
台湾八景のように時代とともに内容が変遷するものもあるみたいです。
対象が固定されているものの場合、以下のような絵が描かれるそうです。
晴嵐 | 本来は春または秋の霞。青嵐と混同して強風としたり、嵐の後の凪とする例もある。 |
晩鐘 | 沈む夕日と山中の寺院の鐘楼の組み合わせ。 |
夜雨 | 夜中に降る雨の風景。 |
夕照 | 夕日を反射した赤い水面と、同じく夕日を受けた事物の組み合わせ。 |
帰帆 | 夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景。 |
秋月 | 秋の夜の月と、それが水面に反射する姿の組み合わせ。 |
落雁 | 広い空間で飛ぶ雁の群れ。 |
暮雪 | 夕方ないし夜の、雪が積もった山。 |
日本で八景というと広重の『江戸近郊八景』などが有名でしょうか。
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■柄杓のサイズ
現在、点前で使用されている柄杓は、以下の大きさのようです。
○風炉の柄杓
合径:一寸七分半~一寸八分半
柄の節上:五寸八分
柄の節下:五分五分
○炉の柄杓
合径:一寸九分~二寸
柄の節上:五寸七分
柄の節下:五寸五分
○差通の柄杓
合径:一寸八分~一寸八分半
柄の節上:五寸八分
柄の節下:五寸五分
2017年10月8日日曜日
阿古陀の茶器ってこんなの
阿古陀(あこだ)は瓜の名前だそうです。
瓜の如く、丸胴の肩から裾にかけて、数条の堅筋が入っているもの。
多くは溜塗で、小さな摘みの木地蓋がついている。
始め如心斎の好みだそうです。
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■如心斎宗左
如心斎は、表千家の第七代家元だそうです。
第六代家元の覚々斎の長男として生まれ、家元制度の基礎を築き、
七事式を制定するなど、茶道人口増大の時代に対応する茶の湯を、
模索した人みたいです。
千家茶道中興の祖ともいわれ、千利休以来の千家の道具や記録類を整理したことそうです。
実弟である裏千家八代一燈宗室や、
高弟である川上不白らと共に時代に即した茶風を創り出した家元として名高いとか。
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■新たな茶風
如心斎らの「新たな茶風」というのは、
茶の湯に自由闊達な気風が吹き込まれたことだそうです。
茶室は利休・宗旦のような極小茶室から改築・拡張されていき、
茶道具もそれまでの侘びた目に立たないものから、
華やかな蒔絵の棗など、派手で目立つものになって行くそうです。
この第七代如心斎らが行った組織改革は、
後世に千家流茶道を伝える基盤整備である一方で、
単なる指導方法の変更のみならず、
小規模空間で小人数をもてなすわび茶の世界を大きく変えていくことになるようです。
第八代卒啄斎のとき天明8年(1788年)の大火により、
表裏両千家は伝来の道具のみを残して数々の茶室はすべて焼失してしまったそうですが、
翌年までに速やかに再建され、利休居士二百回忌の茶事を盛大に催したそうです。
こうした復興が可能だったのは、如心斎らによる「家元制度の整備」によるところが大きい
と考えられるのだとか。
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■表千家の名の由来
表千家は、千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家で、
宗家は京都市上京区小川通寺之内通上ルにあるそうです。
表千家を象徴する茶室不審菴(ふしんあん)の号の由来は
「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理しているとか。
「表千家の名」は、茶室『不審庵』が通りの表にあることに由来しているそうです。
本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、
「今日庵」が表通りの不審菴の裏にあることに由来するとか。
裏千家の宗家の住所は、表千家と隣接した京都市上京区小川寺之内上ルにあるそうです。
2017年10月7日土曜日
四滴茶入ってこんなの
今回の動画は、四滴(してき)です。
四滴とは、四つの茶器とも言われ、
油滴・水滴・弦付・手瓶の四種の
薄茶器を総称している言葉です。
四滴の扱いについて、
濃茶器に棗など(漆器)を用いた場合に
重ならないように使用します。
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四滴茶入(四つ茶器)は、水滴以外、本来、薄茶専用なのですが、
区分けとしてこの「茶入」のページに入れています。
四滴茶入は、以下の四つからなっているそうです。
・弦付(つるつき):口の上に半円形の弦があるもの
・手瓶(てがめ) :肩から胴に手がついたもの
・油滴(ゆてき) :肩に小さな注ぎ口があるもの
・水滴(すいてき):注ぎ口と手が付いているもの
替茶器(四滴茶入など)がある理由は、
利休形の黒塗棗を「濃茶」に用いた場合、
茶事の流れにおける「薄茶」では替茶器を用い、
前席の濃茶の棗と異なった姿を取り合わせるほうが好ましい、
といった背景からのようです。
他に、替茶器の役割として、
客の数が多いと、一つの茶器ではお茶の量が不足するため、その控えとして用いたり、
装飾的役割で、棚物を用いた時に終りに飾りを置いたり、
主茶器に添えて拝見に出したりするのだそうです。
仕付棚のある台目席・小間席などでは、黒塗棗などを荘ることがよくあるみたいですが、
濃茶の替茶器ではなく、薄茶用なんだそうです。
これは、佗びた席として道具組を考えた際にこのようになるようですが、
亭主の考えや嗜好によっては、派手な蒔絵の薄器を置く場合もあるのだとか。
同様に、菓子器の縁高も、蒔絵の薄器や焼き物の菓子器を使っていけないわけではないそうですが、
佗びた席と考えると、縁高の方が格調高く見えるような見えないような。
2017年10月6日金曜日
前瓦(前土器)ってこんなの
こちらの動画は、前瓦(まえがわら)です。
前瓦は、風炉の火窓からの火気を防ぐために立てる、
面を取った半円形の素焼きの土器(かわらけ)のことだそうです。
前土器は、御神酒を頂く土器を少し欠き用いたのが始まりだとか。
鉄風炉には「赤の前土器」を用い、
その他には「白または雲華焼」を用いるようです。
酷暑には二枚重ねて用いることもあるとか。
珠光時代以前には用いられていないようで、
頬当風炉のように眉のない風炉が出来てから用いられるようになり、
眉風炉には用いませんでしたが、
堺の草部屋が初めて用いてから眉風炉にも用いるようになったとか。
風炉のサイズに合せ大きさも変え、
灰形により丸みの異なるものを用いるみたいです。
風炉には底の部分に「底土器」を用いることが多くなっているそうで、
これも風炉のサイズで大きさを使い分けるとのこと。
五徳の高さを合せるための「五徳瓦」と言ったものもあるようです。
■『源流茶話』より
薮内竹心著『源流茶話』にこんな話があるそうです。
前土器には、内曇りを用います。
中暑の頃には、中土器、
暑さの厳しい時には、大土器、もしくは二枚使い、
残暑には逆土器などが使われましたが、
時により扱いが異なり、
だいたい中暑・酷暑の時は、大・中の土器が用いられます。
逆土器、二枚土器は共に土器の立て方、灰形に習いがあります。
※内曇り:内側に黒い焦げのある白い素焼きの土器のこと。
■その他の文献
『茶道筌蹄』に
「前土器 白火色、原叟手造形、白火色四品あり」
とあるそうです。
『茶湯古事談』に
「風炉の前かわらけを、利休二枚かさねて立し事あり、
又わり目を上へなして立し事も有、
是等ハ炎暑之比ゆへ火気を坐中へ出さぬ用なりし、
然るに去茶人一年利休長閑なりし元三に風炉を用し事有とて、
二月の余寒烈しきに風炉を出し、
しかも前瓦を高々とたて、火をミせさりしかは、
心有客は内々わらひしとなん」
とあるみたいです。
『茶道要録』に
「前土器之事、図あり、火を顕すまじきが為也、
火気を押ゆる故に、酷暑の節は二枚重ても立る也、
冷しき時は一枚を下て立る、
恒は一枚を以て高下見合有べし、
歳若き者に此土器上を下へして、
直なる方をみせて立させたる事有、
総じて春秋は火を顕はし、夏はかくす也」
とあるようです。
2017年10月5日木曜日
茶箱 月点前の道具組ってこんなの
月点前は、花点前=春、卯の花点前=夏 、月点前=秋、雪点前=冬、
と対応させた場合の、秋の季伝物点前だそうです。
裏千家十一代玄々斎が創案したもので、
香合も茶箱に仕組み、香をたくなど、茶箱点前中で最も美しい点前なんだとか。
玄々斎著『茶箱点前の記』に以下のような話があるそうです。
昔も今も茶道を学ぶ人たちは「茶箱」を携えて茶を飲んだ。
しかし、茶箱には点前の手順がなかった。
このまま、手順もなく、みだりに取り扱うのは良くない。
そこで、旅箪笥の習いにある茶の点て方の法に基づいて、
棚板を簡略化して四つに畳んだものを器居(きずえ)と呼び、
この上で茶道具を扱うよう定めよう。
もしくは箱の蓋やかけごの上でも、扱うと定めよう。
程良い方円の盆を用いるのもよいだろう、
などと考えたのです。
「月点前の扱いは唐物、雪点前の扱いは茶通箱、
花点前の扱いは小習事に添うべきもの」
と教え伝えていきなさい。
古老の人たちとよくよく考えて極めた私の趣意を、
ここに記しておく。
こうして「冬・秋・春」に対応した「雪・月・花」の茶箱点前ができるみたいです。
その後しばらくしてから、夏に対応する「卯の花点前」を考案するそうです。
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利休好の茶箱として、杉木地茶箱・桐木地茶箱・菊置上茶箱などが伝えられているそうです。
ここでは、利休好 菊置上茶箱について説明しようかと思います。
大小ある桐木地茶箱のうち、大きい方の桐木地茶箱を、
裏千家八代又玄斎一燈が写した菊置上茶箱は、
蓋裏に「利休写(花押)」と墨書しているそうです。
裏千家歴代が直書した茶箱として、最も初期のものの一つみたいです。
菊置上茶箱は、桐木地の長方形の箱で、
中に掛合(かけご)があるようで、
掛合には茶筅筒用の穴が開いているそうです。
茶箱のサイズは、高13.0cm、径20.0cm×13.8cmだそうです。
中身は、
・赤楽茶碗(玄々斎作)
・秋草蒔絵平棗(八代宗哲作)
・竹茶杓 銘:千代見草(玄々斎作)
・赤楽香合
・赤楽茶筅筒
・赤楽茶巾筒
・赤楽振出
みたいです。
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裏千家五代不休斎常叟好に、木地茶箱があり、
十代認得斎と十一代玄々斎が写しているそうです。
玄々斎の写しには、玄々斎筆の書付が添い、
箱蓋表に「三之内」と玄々斎が墨書しているそうです。
不休斎が好んだ茶箱に、「菓子箱新好之」とされる被蓋の菓子器を、
玄々斎は新たに追加したようです。
茶箱の下部に引き出しがあるそうで、
被蓋によって押さえる仕組みみたいです。
茶箱・菓子器共に、内部には金泥が施されているとか。
木地茶箱のサイズは、高9.4cm、径16.3cm×11.5cmだそうです。
中身は、
・唐津写茶碗(慶入作)
・古瀬戸写茶入(保全作)
・甲赤茶器(七代宗哲作)
・竹茶杓(玄々斎作)
・茶筅筒(七代宗哲作)
・染茶巾筒(保全作)
・菓子箱
みたいです。
2017年10月4日水曜日
茶箱用の茶筌ってこんなの
茶箱用の茶筅は、通常の茶筅より一回り小さく、
かわいらしいのが特徴です。
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■茶筅の「筅」の字
茶筅の字はもともと鍋などの焦げ付きを落とす道具、筅(ささら)から来ているそうで、
芸術まで高められた高山の茶筅では「筌」の字を使うことが通例だとか。
高山宗砌が 村田珠光 の依頼で開発したのが茶筅の始まりだそうで、近松茂矩著『茶湯古事談』には、
「茶筌は 武野紹鴎 ~ 利休 の頃まで蓬莱の甚四郎、 利休 の頃には高山甚左が作ってそれぞれ天下一と言われた」とか
「高山甚左の子孫の甚之丞や、玉林も茶筌作りで名を馳せた」といったようなことが載っているみたいです。
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■茶筅通し
茶筅通しには、穂先を湯に馴染ませ柔らかくして折れにくくする効果があるそうで、
最初の茶筅通しは、軽くサラサラとお湯に馴染ませるようにすれば良いみたいです。
戻ってきた茶碗に対する茶筅通しは、茶碗と茶筅を同時にすすぐため、
茶筅の穂先に付いたお茶を落とすようにして振るのだそうです。
点てる前を「茶筅湯じ」、点てた後を「茶筅濯ぎ」と呼んで区別することもあるのだとか。
茶筅を上下するのは、穂先を目前で改めて折れや汚れのないことを確かめる意味があるそうで、
予め水屋で穂先が折れていないかを確かめ、次に軽く水にくぐらせ清め茶碗に仕組んだものが、
問題ないかを、改めて確認するようです。
茶筅を茶碗の縁で軽く音を立てる動作は、
真言密教の灑水(しゃすい)の礼に由来した浄(きよ)めの意味があるのだそうです。
ちなみに、灑水(洒水)というのは、密教の儀式を行う前に道場や法具などに香水(こうずい)をかけ、
煩悩や穢れを浄めることだそうです。
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■貴人清次
なぜ、そうなのかはよくわかりませんが、
裏千家の貴人清次では、
茶筅は貴人の「清」が白竹に対して、
「次」は煤竹の数穂を用いるのだそうです。
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■茶筅の大きさ
茶筅の大きさは、通常は3寸7分(12cm弱)ほどですが、
西大寺の大茶盛(おおちゃもり)で用いられる茶筅は、
高さ1尺2寸(約36cm)もあるみたいです。
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■茶筅の紐
茶筅の紐は、からみ糸・かがり糸などと呼ばれるそうです。
通常は黒の糸を用いるようですが、
流派や趣向によって白や赤の糸を用いることがあるとか。
赤糸の茶筅の代表的なものが、
長寿の祝い事に用いられる祝茶筅みたいです。
還暦や古希では元節、喜寿や米寿では節無しとするのだとか。
2017年10月3日火曜日
釣釜用具ってこんなの
動画は、釣釜を掛ける用具のセットです。
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ここでは自在鉤について説明します。
囲炉裏道具として使われる「自在鉤」、
鍋や湯釜などを吊るし、高さを変えることで火力調整のできる優れた道具で、
五徳を使わないことで火元に障害物がなくなり、薪をくべやすくする働きもあるとか。
ただ、世界遺産白川郷や、かやぶきの里京都府美山集落の囲炉裏にはほとんど自在鉤は存在せず、
かわりに、種々の大きな五徳(金輪)が多く見られるみたいです。
「自在鉤」の構造としては、「中通し式」「スライド式」「縄掛け式」「空鉤」「その他」があり
中でも、固定された「吊り棒」と上下する「鉤棒」でスライドさせるタイプと、
折り返した縄の長さで調整するものの2種類が代表的なんだそうです。
この中で「中通し式」についてだけ説明すると、
竹・木筒・鉄・真鍮・縄などさまざまな材料で作られているようで、
飲食店の装飾としてもよく使われているのだとか。
横木は魚型などで、鍋をかけると魚の頭が下がり尻尾が上がって
魚と縦棒の摩擦でストップする仕組みだそうです。
そのため鍋を下ろさないと高さ調整ができないとか。
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釣(つる)は、茶の湯釜を炉に吊るための道具のひとつで、
釜の鐶にかけて、鎖や自在の鉤へかけるための、
把手(とって)のことみたいです。
釣は、「弦(つる)」「釜釣(かまつり)」
「釜弦(かまつる)」ともいうそうで、
釣も「つる」の他、「つり」と読む場合もあるみたいです。
馬蹄形に近い半円状で、両端が上に反って、
鉤状になっているそうで、釜の左右の鐶付に、釜鐶を通し、
それに釣をかけることにより釜を吊るようです。
鉄や真鍮製で、象嵌入り・彫文様入り・虫喰のものがあるとか。
利休形として、
・真鍮の木瓜形(もくこうがた)、
・鉄の丸釣(まるつる)、
・鉄の鎌刃形(かまはがた)
の三種があるようです。
木瓜形は雲龍釜・鶴首釜など、
丸釣は、四方釜に、
鎌刃形は小丸釜・小尻張釜・阿弥陀堂釜などに用いるみたいです。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「釣 真チウ木爪は雲龍にもちゆ、
鉄丸は四方にもちゆ、
鉄鎌の刃は小丸、小尻張、大ぶりなるカマにもちゆ、
千家に此三つを一箱に入て如心斎書にて利休所持とあり、
それゆへ当流は此三品をもちゆ、
此外に達磨堂にもちゆる真鍮丸ツルあり、
片端にアガキあり」
とあるそうです。
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釣釜には、雲龍・車軸・鶴首といった細長い、
小さめのものを使用するそうです。
三月に釣釜にするのは、この春の風情を楽しむことと、
炉中に撒かれた灰が増える、炉の終わりゆく時期に思いを馳せる、
という意味があるみたいです。
釣釜は、広間と小間では室礼が異なるようです。
広間では天井に打たれた蛭釘に「鎖」を、
小間では竹や植物の蔓などで出来た「自在」を下げて、
その先に釜をかけるのだとか。
小間で使用される「自在」は、
秋の収穫後家族が集まって囲炉裏を囲む姿から編み出されたようです。
「自在」の上には、飾りとして木彫りの魚がついていることがあるみたいですが、
これは囲炉裏の火の卦に対して、水の卦を配置し、
火伏せの意味があったそうです。
2017年10月2日月曜日
釣釜ってこんなの
道具は、釣り釜と釣が釜を釣るためのセットです。
釣釜は、天井に打たれた蛭釘(ひるくぎ)から釜を釣り下げる使用するもので、
「雲龍」「車軸」「鶴首」といった細長い小さめのものを使うようです。
雲龍釜に関しては、井伊直弼著『閑夜茶話』に以下のような話があるそうです。
雲龍釜というの初め、東山御物の青磁水指の形より、利休が思いついて釜を作らせたものみたいです。
「絵は探幽なり」という言い伝えもあるとか。
また、雲龍が姥口のようになっているのは、少庵の考えのようで、
「煮えが良くもつように」と好まれたものみたいです。
利休が好んだのは一重口だそうです。
三月に釣釜にするのには、この春の風情を楽しむことと、
炉中に撒かれた灰が増える炉の終わりゆく時期に思いを馳せるという意味もあるのだとか。
釣釜は、広間と小間では室礼が異なり、
広間では天井に打たれた蛭釘に「鎖」を、
小間では竹や植物の蔓などで出来た「自在鉤」を下げて、
その先に釜をかけるようです。
■鎖の間
座敷の一種である「鎖の間」は、釣釜の鎖に由来しているそうです。
この「鎖の間」、古田織部や 小堀遠州らが、
小座敷と結び、さらには書院までつなぐことにより、
一日の内に座をかえて茶を楽しみ、かつ小座敷では得られない、
書院風の座敷飾りを茶会にとりいれることを可能にしたみたいです。
鎖の間について補足すると、
1.利休が一旦取りやめた:立花実山著『南方録』
2.織部が「式正の茶」として復活させた:『古田家譜』
3.遠州が実際に造った:『松屋会記』
といった流れがあったみたいです。
以下、それぞれの詳細について。
立花実山著『南方録』に
鎖の間のことを、千宗易が伝え聞いて
「これ後世に侘茶湯のすたるべきもとゐなり」
といってやめさせたようです。
『古田家譜』に
秀吉が町人文化の茶を武家風にせよ
と言われたので「式正の茶」に改定した
といったことが記載されているようで、
この頃より「侘茶」から「儀礼の茶」へと変遷していったみたいです。
ちなみに『古田家譜』とは、仙台藩伊達家着座古田家の略譜のことだそうです。
松屋家の茶会記『松屋会記』に
「通口ヨリ鎖ノ間ヘ出候、并書院、亭へ出候」
とあるそうで、遠州が住んでいた伏見奉行屋敷に
「長四畳台目」を造ったことがわかるみたいです。
今は現存しないとのこと。
「長四畳台目」というのは、
・四畳を横に細長く並べ、
・その中央側面に台目構えの点前座を配し、
・躙口を中ほどに造ることにより、
・左方に床と貴人座、
・右方に相伴席とし一室の中に取り込む
といった形のものだったそうです。
お茶の郷博物館には「縦目楼」という「長四畳台目」があるみたいで、
伏見奉行屋敷と、遠州と親交のあった松花堂相乗が住んでいた
石清水八幡宮滝本坊を合わせたものだそうです。
毎週火曜日が休館日で茶室「縦目楼」は9:30~16:00に営業中だそうです。
2017年10月1日日曜日
透木ってこんなの
動画は、太い方、細い方、どちらも透木です。
■透木とは
透木(すきぎ)は、釜の羽根が炉壇や風炉の肩に掛かる場合に用いる、
拍子木形の木のことだそうです。
炉用の方が風炉用より少し大きいみたいです。
風炉では、夏の暑い時期、
炉では風炉にかわる前の温かくなってきた時期に、
炭火から釜を少しでも遠ざけ、通気を良くするために用いるようです。
古風の真の釜は、透木据えだったそうです。
好ものは、以下みたいです。
利休好:厚朴(ほお・こうぼく)
宗旦好:桐
竺叟宗室好:桜
円能斎宗室好:梅
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■透木の由来
透木は、敷木から転化した言葉だそうで、
風炉または炉に羽釜(はがま)を掛けるとき、
風炉または炉の縁に置く拍子木形の木片とのこと。
通風をよくするために、
風炉または炉と釜との間にすきま作るのが目的みたいです。
透木の用材は、利休形は厚い朴(ほお)、元伯形は桐のようです。
大きさは大小あるそうですが、通常サイズは、
炉用が長さ三寸九分、幅七分、厚さ四分、
風炉用が長さ三寸、巾六分五厘、厚さ三分八厘
になるみたいです。
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■透木の扱い
透木の扱いは、
まず、透木を炉壇叉は風炉の肩の左右の縁に置き、
これに釜の刃をのせるそうです。
五徳は必要がないので、とりのぞいておくとか。
炭手前は、本勝手の炭手前と変わりないようです。
釜にカンをかけて、釜敷を出し、釜をあげた後、
右手で右の炉壇の透木を取り、打ちかえして左掌にのせ、
ついで左の透木を取って、そのまま左掌の右の方の透木に重ね、
それを右手で重ねたまま持って、左手にもたせてカンの下座に置くみたいです。
釜を戻す時には、左手で透木を取り、
炉正面に向きなおり、右手で二ついっしょに打ちかえして、
右手で上のほうを炉壇の右に置き、
下の透木を打ちかえして左に置くようです。
ふたたび左ななめに釜の方に回り、
左手でカンを取り、釜にかけ、初めて上げた位置まで引き寄せ、
炉正面に向き直り、釜を炉にかければ、完了だそうです。
透木の扱いは風炉の季節にも行うようです。
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■透木釜に関して
透木の上に載せる透木釜は、
平たくて羽がついている形の釜で、
釜の羽を透木の上に乗せて釜を支えるようです。
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■透木に関する文献
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「透木 利休形厚朴、元伯形桐、何れも炉風炉ともあり」
「ごう取手 百佗 千本松などの鐶を云ふ」
「端立 裏ごうにもちゆ、透木にかくるためなり」
「透木 庸軒このみのアラレの外イロリ透木カマ、
古作はこのみなし、原叟このみに乙御前あり」
とあるそうです。
宮崎幸麿著『茶道宝鑑』に
「透木 桐 ホウ。炉 長さ三寸九分、巾七分、厚さ四分。
風呂 長さ三寸、巾六分半、厚さ三分八リン」
とあるとか。
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